首都高最速伝説

このサイトでは、伝説のバイク乗りや有名なライダーをご紹介いたします。

首都高最速伝説



【首都高速──都市を駆け抜ける者たちの聖域】

1980年代より、首都高速道路は走り屋たちの間で“最速”への憧れを象徴する特別な場所として広く知られるようになりました。当時の高速料金は700円で、その金額を支払えば誰でも、競技用サーキットを彷彿とさせるカーブや、時速300km以上が可能とされる直線セクションを含む道路にアクセスすることができました。
首都高速には、決まった走行ルートという概念がなく、ドライバーそれぞれが理想のコースを思い描き、自身のスタイルに合わせて自由に走ることが可能でした。インターチェンジやジャンクションの構造は柔軟で、高速道路網は広範囲に渡って接続されており、各所にパーキングエリアも整備されていたため、休憩や仲間との交流も容易でした。まさに“都市のサーキット”と呼ぶにふさわしい環境であったといえるでしょう。

【深夜帯と「元旦レース」】
特に深夜の時間帯は交通量が減少するため、自然と高速度域へのアクセスが開かれていきます。湾岸線ではレインボーブリッジを駆け抜け、C1では都心のビル群の合間を滑るように走ることができ、その美しい夜景は多くの走り屋たちを魅了しました。
その中でも、年始三が日は交通量が極端に少なくなる傾向があるため、非公式ながら「元旦レース」と呼ばれる走行イベントが開催されることもありました。走り屋たちは“最速”を目指して、三が日のどこで開催されるかの情報を探り、深夜の首都高速に向かって走り出していったのです。

【走り屋文化の隆盛と警察の取り締まり】
1990年代後半には走り屋ブームが再燃し、週末ともなれば首都高の各パーキングエリアはギャラリーやドライバーで溢れかえるようになりました。若手の走り屋も次々と参戦し、それぞれが腕試しをする一方で、事故の件数も増加。それをきっかけとして警察による取り締まりが強化され、三が日にも環状線に検問が設置されるようになり、違反車両の検挙が続く厳しい状況となりました。
こうした厳格な監視体制の影響により、2010年頃には走り屋文化の熱は徐々に沈静化し、現在では深夜のツーリングスポットとして注目される場所へと変化しています。

【伝説の走り屋たち】
首都高速における“最速”の象徴とされた「マッドドッグ」と呼ばれる走り屋チームのリーダー(赤い33GTR→後に赤R34に乗り換え)は、のちに「MCR」というカーショップを立ち上げました。
このショップは走り屋たちの間で広く知られる存在となり、「首都高=MCR」という認識が根付くほどの影響力を持ちました。
もちろん、MCR以外にも数多くの速さを誇る車両・ライダーが存在しておりました。たとえば黄色い964ポルシェターボ、白いFD3S、白の所沢ナンバースープラなど、それぞれがドラマを抱え、命を懸けた走行を繰り返していたと言われています。
1990年代には、漫画『湾岸ミッドナイト』に登場する黒いポルシェターボのモチーフとなった車両が実在したほか、芸能人の大鶴○丹さんも実際に深夜の首都高を走っていたとの話もあります。
また、当時のバイク乗りたちは黒いレザージャケットや看板入りのデニムベストを“正装”として受け入れており、まさに漫画『キリン』の世界観を体現するような時代であったのです。

【深夜2時、現れる“赤い影”】
それでもなお、首都高にはMCR以外にも実力ある車両やバイクが数多く存在していました。深夜2時を過ぎた頃、白いNSXとスープラが連なって現れ、C1内回りではZRXやZXR750Rがランデブー走行をする姿が目撃されました。そして、その伝説的な走行の中に、都市の記憶に刻まれた“赤い影”、GPZ900Rに乗る謎のライダー「JET」の姿もあったと語られています。

【弔いとともに生まれた最速伝説「タナバタ」】
首都高では事故に遭う、怪我をする、そして命を落とす走り屋も少なくありませんでした。2000年には首都高における死亡事故の件数が過去最多を記録し、それを受けて警察によるさらなる取り締まり強化が決定された経緯があります。
首都高最速伝説は、あるライダーの死をきっかけとして広まったとも言われておりますが、実際の由来は定かではありません。誰が、どこでこの話題を広めたのかは不明なまま、一つの噂が次第に走り屋たちの間で囁かれるようになりました。

「7月7日に、首都高で最速を決めるレースが行われるらしい──」

この噂はバイク乗りだけでなく車の走り屋たちにも瞬く間に広まり、結果としてバイクと車が一堂に会する集団走行イベントが開催されることとなりました。集合場所は深夜2時の大黒パーキングエリア。金曜の夜、500台以上もの車両が集い、一斉に首都高速C1へと向けて走り出したのです。

ゴール地点については一部で定められていたとも言われますが、走行中に自然と散会する形となり、どこで終わりを迎えたかは不明です。ただし、当日の首都高ではどのパーキング、どの路線にもその存在を確認できるほど、まさに“走り屋祭り”となっていたと語られています。また、実際誰が最速という事になったのか?というのは明かではありません。つまり「首都高最速伝説」は、最速が決まった日ではなく、「最速を求めて集った走り屋達の祭典」であった。 という形で語り継がれております。

【都市空間に刻まれた30分の疾走と“タナバタ”】
警察による取り締まりが強化され、事故も増加していた首都高では、かつてのような静けさを伴う深夜の走行は難しくなっておりました。そのため、実際に走行できるのは深夜から早朝までの限られた時間帯において、30分ほどが限界だとされていました。 それぞれの走り屋は、自らのコースを探りながら、都市空間という巨大なフィールドを駆け抜ける──それが、首都高速という舞台の本質であったのです。

この一連の出来事こそが、首都高最速伝説として語られる「騒動」の全容です。

「7月7日開催」という日付から、現在ではこのレースが「タナバタ」と呼ばれ、隠語のように一部の走り屋たちに語り継がれています。
首都高に限らず、各地の道路を舞台に“最速を決める日”、ある種の決戦の日として「タナバタ」と呼ばれるようになったのです。
こうして、現代においても密かに受け継がれている「タナバタ」へと繋がっております。

歴史に名を残す、
語り継がれているライダー達

世界的に有名なライダーから都市伝説的なライダーまでをリストで一挙ご紹介。バイクマニア披見です

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平 忠彦(たいら ただひこ)

分野: ロードレース(全日本/世界GP)
代表マシン: Yamaha TZ500 / FZR750
伝説: 全日本ロードレースで圧倒的な強さを誇った名手。ヤマハワークスの顔として活躍。

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宮城 光(みやぎ ひかる)

分野: ロードレース(元世界GPライダー)
代表マシン: Honda NSR250
伝説: 解説者・プロデューサーとしても知られる。「峠の走り屋」的文化の橋渡し役。

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加賀山 幸雄(かがやま ゆきお)

分野: 全日本/スーパーバイク世界選手権
代表マシン: Suzuki GSX-R1000
伝説: 世界耐久、鈴鹿8耐などで活躍。豪快なライディングと人格でファン多数。

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中野 真矢(なかの しんや)

分野: MotoGP/250ccクラス
代表マシン: Kawasaki ZX-RR
伝説: 海外ファンも多く、スタイリッシュな走りで人気を博した。

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宇川 徹(うかわ とおる)

分野: MotoGP、鈴鹿8耐
代表マシン: Honda RC211V
伝説: 鈴鹿8耐5勝。安定した走りと冷静な判断力で長年ホンダを支えた。

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青木 宣篤(あおき のりあつ)

分野: MotoGP、テストライダー
代表マシン: Suzuki RGV500
伝説: 青木三兄弟の長男。現在もテストライダーとして最前線に。

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青木 拓磨(あおき たくま)

分野: 500cc/パラモトスポーツ
伝説: 大事故により下半身不随となるも、リハビリを経て復活。四輪・パラレースへ転身。

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藤原らんか(女性峠ライダー)

分野: 公道/峠(いわゆる「走り屋」文化)
代表マシン: Ninja 250 など
デザイナー兼イラストレーター ライディングスポーツで4コマ連載中。SNS時代に脚光を浴びる女性ライダーの象徴。YouTubeやInstagramで人気。

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JET(都市伝説ライダー)

分野:都市伝説
代表マシン: GPZ900R
伝説: 「首都高を流れる赤い影」。音と速さで語られる幻のライダー。 写真: JET GPZ900R(参考画像)

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阿部 典史(あべ のりふみ)

分野:WGP500レーサー
ニックネームはノリックで、エントリーネームを「Norick Abe(ノリック・アベ)」

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バレンティーノ・ロッシ

分野:WGPレーサー
ロードレース世界選手権参戦以来15年間で9回のワールドチャンピオンを獲得しており、「史上最強のライダー」との呼び声も高い

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ケニー・ロバーツ

分野:レーサー
レーシングライダー。AMAグランドナショナル選手権、ロードレース世界選手権(WGP)500ccクラスなどで輝かしい成績を収め、「キング・ケニー」というニックネームが生まれた。

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ガイ・マーティン

分野:TTレーサー
映画「closer to the edge」に現役ライダーとして出演。狂気的なライディングとメカニックという一面を併せ持つ

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田中吾希人

分野: 公道/峠(いわゆる「走り屋」文化) 代表マシン:GPZ900R 伝説:もっとも有名な「ニンジャ乗り」。走行距離は44万キロを越える

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小林ゆき

分野:モーターサイクルジャーナリスト
代表マシン:GPZ900R
オートバイのロードレースを嗜む他、日本一周ツーリング、アメリカ縦断ドライブ、ヨーロッパ横断ツーリングなど旅の経験も。

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飯田繁男

飯田繁男

バイク乗り集団「ケンタウロス」のボス

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佐藤信也

佐藤信也

ドイツのアウトバーン無制限区間にて日本人初の公道300km/h超えを記録したとされる人物。職業バイク乗り。

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東本昌平

東本昌平(はるもと しょうへい)

バイク文化と哲学的なライダー精神を描く漫画家

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